「寿命」という考え方は、生まれてくるときに決まっているというもの。
つまり生きる時間も食べるものの量も大方決まっている。
いま、したいこと、食べたいもの、ほしいもの、我慢や節約が当たり前になっている。
時間や食べ物の量が決まっているとすれば、質を下げてしまうことは勿体ない。
その時々で自分がしたいこと、食べたいものを食べる。そんなご褒美や贅沢も楽しみたい。
あの世から必要なものを背負って生まれた
私の祖母の教えでは

魂は、生きるのに必要なものを背負って、あの世から、この世に来た。
特に食べる物については、
お酒を何ℓ、お米を何俵、牛や豚が何頭分持って来たかで決まっている。
背負ってきた分をすべて食べ消費したとき
旅は終わり、またあの世へ帰る。
という教えがあります。
※もはやあの世があるのは前提の話。
魂というのは修行の旅をしていて、様々な生物に生まれ変わり続ける。
生まれ変わる度に魂は磨かれて綺麗になっていく。
そして世の中が豊かであろうが、食べるものが少なくて貧しかろうが
この世に生まれてくるときにどのくらい背負って来たかで総量は決まっている。
同じように時間や所有できるモノなどもあの世から持って来た分だけ。
大きくて丈夫な体で生まれても家が貧しく食に困るのはあまり背負って来なかった。
虚弱でも裕福な家庭に生まれ食に困らないのはたくさん背負って来た。
「手相」とは何が違う考え方なのか

ここまでで「手相と一緒じゃないか」と思う方もいるかもしれない。
確かに、手相は生まれてくるときに「運命を握ってくる」という考え方で
とても似通っている。
手相占いで、何歳まで生きれる生命線、つながる縁の運命線、知性の頭脳線、性格の感情線。
こういった線を占い師が読み解くことで、人生におけるさまざまなことが分かるが、
手相という代物は途中で変化していくことで知られている。
出会った人との縁で結婚線がでたり、行いの良し悪しや境遇で変化すると言われている。
つまり、手相はある程度生まれ持って来た可能性や傾向のように感じる。
生まれ来るときに背負って来た食べものの量や寿命は
この世に生まれてから変化しないという考えとは少し違うと感じる。
無意識に節約し過ぎてしまう現代
昔の狩猟や農作をしていた時代と今とで大きく違うのは
お金があれば食べ物でも、自由な時間でも、医療でもなんでも買うことができること。
そしてお金を貯えていれば食べ物を保存する必要なく、困らないことだ。

| 時代 | 環境 | 気持ち | 
|---|---|---|
| 今 | 食べたいものはあるがお金使いたくない(使えない) | 今食べたいものを食べるより、 我慢して将来の安心を得たい  | 
| 昔 | 今日の稼ぎの良し悪しで食べれるものに使い切る(収穫による) | 将来・明日があるかわからない 食べれるうちに食べたいものを食べる  | 
完全な偏見で根拠などはないが、現代と昔の差について表に書いてみた。
現代は未来のために今を我慢するのに対し、昔は今がなくては未来もない。
江戸の頃はその日の稼ぎはその日のうちに使うスタイル。
いわゆる「その日暮らし」だったと言われている。
ここで思い返すのが、
食べる総量はこの世に来るときに決まっているという考え方。
遠い先、しかも来るかもわからない未来のために今を我慢するのは勿体ない。
なぜなら今生きるのにも背負ってきた分を消費しているからだ。
どうせ消費するなら食べたいものや自分の好きな物をなるべく食べたほうが後悔が少ないだろう。
飲み過ぎ・食べ過ぎも背負って来た分から消費している
逆のパターンもある。
背負って来た分を短い期間で(この先を生きるのに必要な分まで)消費し尽してしまう場合。

これについては、病となって現れることが多い。
お酒の飲み過ぎは肝臓を壊してもう飲めなくなる⇒一生分を先に飲んでしまった。
ご飯の食べ過ぎは肥満になり寿命を縮める⇒一生分を先に食べてしまった。
人間の身体はその時、不足している栄養を摂取できる食材をおいしく感じると言われている。
ならば食べたいと感じるものが、最も身体が求めている栄養を含むだろう。
限度を超えた食べ過ぎ・飲み過ぎはかえって体に害を与える。
その結果かえって、食べたり飲めなくなってしまう。
これを体感的にわかりやすくするために、「背負って来た一生分の消費」として
教えたかったのかもしれない。
自分が今食べたいものを必要な分だけ
自分があの世から背負って来た食料はどのくらいあるのだろうか。
いままで生きてきた中でどのくらいのお酒を消費して、残りは何杯飲めるのだろうか。
お米は、お魚は、お肉は、、、
こう考えると一食一食が限りなくありがたいものと再認識できる
当然、残したりこぼしたり、捨ててしまった分も背負って来た分から消費される。
そして有難いからこそ、なるべく食べたいものを食べたいと思う。
食べたいものを食べずに生きて、将来それが食べれなくなった時きっと後悔するだろう。

我慢しがちな人から、心の素直さは失われていく。
お金が大切な世の中ではあるけど、本当に大切なのは今を生きてる人生。
将来お金があっても、脂っこいお肉を受け付けない身体だったりお酒が飲めないことも考えられる。
自分に素直になって、何をどのくらい食べたいのかを心に聞く。
いま食べたいものを食べたい分(必要な分)だけ食べると心を身体が満たされる。
そして明日を生きる糧になる。
いつもそうはいかないけど、たまに心を満足させてあげたい。
食べたいものを必要な分だけ食べた翌日はきっと良い一日になるだろう。

ちなみにごんべえは、和食がとても好きだ。
作っているとき、食べているとき、食べた後、どの場面でも心が落ち着く。
料理は苦手だけど素材の味を楽しむのが幸せだ。一人で唸りながら食べている。
最近は秋刀魚を食べていると昔を思い出してさらに幸せな気持ちになっている。
それにしても、最近のチョコレートは高すぎる…勘弁してほしい。
  
  
  
  

コメントを残す コメントをキャンセル